ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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6月1日(日)ゲスト:中村征夫

水中写真家・中村征夫。沖縄の開発によるサンゴ礁の滅亡や白化問題、諫早湾の干拓はじめ、海の環境問題に対して映像と文章で訴え、「海の報道写真家」として活躍してきた。

今回、中村の出身地、秋田で開催されている写真展の会場でインタビュー。 展示されている写真は、日本各地をはじめ、オーストラリアやエジプトなど世界中で中村が撮影した200点。インタビュアーの小島慶子はダイビングの経験があり、中村の写真の魅力に引き込まれた。

そんな中村が、カメラマンを志した理由。それは、4歳時に経験したあることに由来するという。 生まれて間もなく、母が他界。困った父親は隣の村の知人に、里子として中村を出した。しかし中村が4歳の時、再び父親が引き取ることに。その時、里親は反対し中村を納屋に隠したという。 真っ暗な納屋の節穴から父と里親とのやり取りを見ていた中村。この強烈な記憶は、後にカメラのファインダーから景色を見ているのと同じだと気付いたという。だから、自分はカメラマンになったのかな…と、中村は語る。 今回、中村と小島は、その知人宅にもお邪魔し、当時の話を聞く。

1993年、中村は、撮影で北海道奥尻島を訪れていた。滞在中に北海道南西沖地震に遭遇。30メートルの大津波から九死に一生を得るが、多くの人の命が奪われた現実に、中村は茫然自失になってしまう。 「もう、海に入るのはやめよう」 あんなに大好きだった海を初めて憎んだという。しかし、その後、生かされていることを真摯に受け止め、もう一度海と対峙することを決意したという。

生物を間近で見ていると、子供を守る母親の母性本能の強さに驚かされるという。中村には母親の記憶が一切ないが、いつも自分のそばにいるという気がする。 自分が見ている美しい海の風景や写真も、母親はきっと空から見ているに違いなと中村は目頭を熱くした。

世界中の海に潜って50年。「いつまで続けるのか?」という問いに中村は笑顔で答えた。「楽になりたいとは思わない。いつまでも撮り続けたい」 今後は、まだ行った事のない南極の海を撮影したいと意気込む。