いにしへ日和

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ストーリー

【長野】 真田昌幸・上田

千曲川沿いに広がる信州上田は、真田昌幸・幸村親子で知られる真田一族ゆかりの地。
この地に昌幸が築いた上田城は、地形を巧みにいかし、2度にわたり徳川の大軍を退けたことで、「不落城」とも呼ばれ有名になりました。
戦上手で知られた真田一族でしたが、関ヶ原の戦いで、豊臣方(西軍)についたことで、昌幸と幸村は上田から追放され上田城も破壊されてしまいます。(現在残る櫓(やぐら)は、江戸時代に再建されたものです。)
しかし今も、昌幸時代の上田城の名残と出会うことが出来ます。
本丸跡の真田神社の脇にある「真田井戸」。
この井戸には、上田城の北、太郎山の麓まで抜け穴が掘られていたと伝えられています。
また、やぐら門の脇、石垣に積まれた幅3メートルもの「真田石」。
徳川方についた昌幸の子(幸村の兄)信之が、形見として持ち出そうとしてもびくとも動かず、結局ここに残されたといいます。
関が原合戦”の後、上田藩主となった信之は、城の東に御屋形と呼ばれる居館を作りました。
そこは、現在、上田高校の敷地となり、居館の表門は、校門として活用されつづけています。
悲運の武将、真田昌幸が作った上田の町には、真田家が上田に込めた思いが、今でも息づいています。