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昭和偉人伝

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岡晴夫 近江俊郎 田端義夫

戦後の日本に復興のつち音が響いていた頃、大衆を励ますような大ヒット曲が次々生まれた。岡晴夫「憧れのハワイ航路」、近江俊郎「湯の町エレジー」、田端義夫「かえり船」。この“戦後三羽烏”の歌声に、どれほど多くの人々が勇気づけられただろうか。
焼け跡に響いた応援歌―。戦後歌謡の黄金期を築いた岡晴夫、近江俊郎、田端義夫の活躍をたどりながら、名曲誕生の裏に隠された、さまざまな人間模様を描き出していく。

・艱難辛苦のデビュー秘話
幼くして両親と死別し、流しで喉を鍛えた岡晴夫。音楽学校中退後、長き前座時代を耐え抜いた近江俊郎。夜逃げ続きの極貧生活で、母に楽をさせたいと歌手を目指した田端義夫。家族や親友の支え、下積み時代の秘話が明かされる。
(「国境の春」「上海の花売娘」(岡)、「辷(すべ)ろよスキー」(近江)、「島の船唄」「大利根月夜」(田端)ほか)

・戦後の復興は歌声とともに
エレキギターを抱え、「バタやんの声には涙がある」と称された田端節。華やぐ歌声で大衆に希望の光を見せたオカッパル(岡の愛称)。リズム歌が持てはやされた時代に哀調で勝負した近江。名曲とともにあの熱狂がよみがえる。
(「かえり船」「玄海ブルース」(田端)、「東京の花売娘」「憧れのハワイ航路」(岡)、「山小舎の灯」「湯の町エレジー」(近江)ほか)

・スターを支えた「愛妻物語」
岡の妻は、ファンのために倒れるまで歌い続けた夫を、黙って支えた。近江の妻は、歌手から映画監督へ転じた夫の背中を明るく押した。田端の妻は、ロマンス多きスター歌手がやっと見つけた恋女房。愛娘らが証言する、スター歌手を支えた家族の愛情物語を紹介する。
(「逢いたかったぜ」(岡)、「別れの磯千鳥」(近江)、「島育ち」「十九の春」(田端)ほか)

戦後の日本は、歌謡界の“戦後三羽烏”の歌声による支えがあったからこそ、奇跡の復興が実現できたのかもしれない。三人の個性がぶつかり合い、昭和歌謡はさらなる発展を遂げていった。歌なくして人生なし。人生なくして名曲もなし。名曲の誕生&人生秘話とともに、彼らの若々しい歌声がよみがえる。