昭和偉人伝

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宮川泰

昭和歌謡における和製ポップス第一人者であった宮川泰が亡くなって、今年でちょうど10年。あのザ・ピーナッツ「恋のバカンス」から「宇宙戦艦ヤマト」まで、作・編曲で手がけた曲は10000曲を超えるという。バンドマン経験を経て草創期のテレビに携わり、豊富な洋楽の知識に支えられた音作りと絶妙なアレンジ力によって生み出される音楽はその周囲を魅了し、さらに旺盛なサービス精神で、周りには笑顔が絶えなかった。今回は、そんな“楽しさと優しさ”にあふれた宮川泰の音楽作品の秘密に迫る。
●宮川泰の生い立ち/いじめられっ子を救ったオルガン ―― 父親の都合で転校をくり返した少年時代。その孤独を講堂のオルガンで埋め合わせた日々。やがて、音楽で自らを表現する喜びに目覚めていく。
●手にした2つの宝物 ―― 大阪のアマチュアバンド時代、キャバレーで知り合った教授に誘われて音大へ入学。そして生涯の伴侶と巡り会う。また同じ頃、天才少年・前田憲男とも出会いを果たす。終生のライバルに触発され、負けじと奮闘する宮川。楽しくて仕方なかった青春の日々。
●テレビの世界は怪物ばかり ―― 上京後、ナベプロの創業者・渡辺晋に見出され、黎明(れいめい)期のテレビ業界で頭角を現すことに。クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツにテレビ番組「ザ・ヒット・パレード」「シャボン玉ホリデー」で出会い、そこから「ふりむかないで」「恋のバカンス」などのヒット曲が生まれる。数々の番組テーマ曲がお茶の間を沸かせた。
●愛と苦しみの「宇宙戦艦ヤマト」 ―― アニメの歴史を塗り変えた「宇宙戦艦ヤマト」の全音楽を担当。大きな成功を収めた。しかしその後、続編の度に音楽を作り直す作業は苦痛を伴った。その窮地を、息子・彬良の助けを得て乗り越える。「息子に追い抜かれた」と公言した父の思いとは…。
晩年、ポップス・オーケストラに取り組んだ宮川。努力や苦悩を表に出さず、最後まで人を笑わせるのが好きだったという。まさに作り出される音楽の楽しさそのもの、宮川泰の人生を描く。