昭和偉人伝

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浜口庫之助

「黄色いさくらんぼ」「涙くんさよなら」「バラが咲いた」
「夜霧よ今夜も有難う」「空に太陽がある限り」「人生いろいろ」
現代に残る名曲の数々を生んだ昭和歌謡の巨人・浜口庫之助。
多くの人に親しまれた彼の楽曲は「ハマクラ・メロディー」と呼ばれ、これを歌った、坂本九、マイク眞木、石原裕次郎、錦野旦、島倉千代子ら、昭和を代表する歌い手たちは歌手人生に華を咲かせた。
彼が手がけるのは、作詞・作曲の両方だった。その道を歩み始めたのは意外にも遅い。
かつて、ラテンバンドのリーダーとして紅白歌合戦に3年連続出場した彼は、人気絶頂のある日突然バンドを解散、作詞作曲の道に転じた。
この時40歳、順風満帆な歌手人生にピリオドを打ち、新たな挑戦を始めた理由とは何なのか?
そして、ハマクラ・メロディーはいかなる方法で生み出したのか?
彼の作品に魅了された大物歌手たちの証言、さらに、最愛の家族と過ごした浜口邸を訪れ、名曲誕生の舞台裏に迫る。
初のヒット作で、世にも珍しい曲名が印象的な「黄色いさくらんぼ」、涙を擬人化した名曲「涙くんさよなら」、ストレートな愛情を表現した「空に太陽がある限り」、闘病中、声を失った過酷な状況で作り上げた人生最後のヒット作「人生いろいろ」、その名曲1つ1つに男の逸話があった。 
「ハマクラ・メロディー」の魅力の正体に迫る!