世界の名画 ~美の迷宮への旅~

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ストーリー

西洋絵画の息吹を日本に モネ「睡蓮」

番組名

巨匠クロード・モネが後半生のテーマとして描き続けた「睡蓮」。モネは、花ばかりでなく、水面の空や木々の反映なども丹念に描写し、睡蓮の池の千変万化する光と色彩を何枚ものカンバスに描きとめました。
モネの代名詞、そして印象派の象徴ともいえるこの連作の一枚が、岡山県倉敷市の大原美術館にあります。作品がこの地へともたらされたのは今から90年近く前の大正中期。一人の日本人画家がフランスへと渡り、モネ本人から譲り受けたのです。画家の名は児島虎次郎。1881年、岡山県に生まれた彼は、芸大の前身、東京美術学校で絵を学んだ後、ヨーロッパへ留学。ベルギー印象派の画家たちから指導を受け、パリのサロンにたびたび入選を果たすまでに腕を上げます。本場の絵画に触れることの大切さを身をもって学んだ虎次郎はやがて、日本の画学生たちにもヨーロッパの名画を見せたい、という思いを抱くのです。当時はまだ、日本人のほとんどが西洋絵画を間近に目にしたことのない時代でした。
虎次郎は留学後、二度にわたって渡欧し、画家のアトリエや画廊を回りながら、絵画の収集に奔走します。そうして集められた作品は120点余り。モネの他、エル・グレコやゴーギャン、ロートレック、セガンティーニなど、そうそうたる巨匠たちの名作が日本へとやって来ることになったのです。
そんな虎次郎の思いに共感を寄せ、彼を支援し続けたのが、倉敷の実業家・大原孫三郎でした。倉敷紡績の二代目経営者として富を築いた孫三郎は、虎次郎の渡航費用を負担し、絵画購入の資金も惜しみなく与え続けます。そして、虎次郎が他界した翌年の1930年、彼の遺志を継ぎ、そのコレクションを展示する大原美術館を創設します。それは日本に初めて誕生した西洋絵画の美術館でした。
日本の美術界の発展を願い、名画収集に半生を捧げた画家と、それを支えた実業家。二人の情熱と絆のドラマを描きます。