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ストーリー

美しき出会い 知られざる東欧の旅
6 激動の国・ポーランド

元モンティ・パイソンのメンバー、マイケル・ペイリンが案内する「Michael Palin's Travel」シリーズ。第6話では激動の国・ポーランドを紹介。
グダンスク港からポーランドへ入ったマイケルは、レフ・ワレサ元大統領にインタビュー。そして地元の寸劇グループとともに舞台に立つ。ワルシャワでは、地元に根付くイギリス人ケヴィンとともに、今度はテレビ出演。元モンティ・パイソンのメンバーとしての面目を保てるのか!?
その後マイケルは、チェンストホーヴァのヤスナ・グラ僧院、アウシュヴィッツの強制収容所跡を見学。スキーリゾートのザコパネ地区では、伝統的な地元の結婚式に飛び入り参加。強烈なウォッカをふるまわれたマイケルは、いい気分で会場を後に。

グダンスク港からポーランドへ入ったマイケルは、南へ向かいワルシャワへ。そこからポズナン、チェンストホーヴァ、アウシュヴィッツ、クラクフ、そしてタトラ山地を抜けスロバキアとの国境へ向かう。
バルト海からつながる運河からグダンスクへ着いたマイケル。この辺りの歴史は素通りできない。1939年9月1日、ドイツの戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインがヴェステルプラッテでポーランド守備隊に砲撃を開始、第二次世界大戦が勃発。数週間のうちにポーランドは制圧され、ドイツ、そして後にロシアの従属国となる。
港から数キロ南にあるグダンスク造船所。ここは電気技師だったレフ・ワレサが独立自主管理労働組合"連帯"を結成した場所だ。彼は共産主義を崩壊へと導き、ポーランドに自由をもたらした。マイケルは、再建されたグダンスクの旧市街にある優雅で温かみのある彼のオフィスで、このヨーロッパが生んだ偉大な人物のインタビューに成功する。
そして、グダンスクから車で1時間ほどのエルブロンクでは、世界でも珍しい運河の旅を体験。エルブロンク=オストゥルダ運河を行くこの遊覧船は、途中に数ヵ所ある丘を台車に乗せられケーブルで引っ張られて移動するのだ。マイケルは途中で下船し、同じ道をグダンスクまで引き返す。寸劇グループのアニ・ムルー・ムルーに誘われ、地元のステージに立つ。元モンティ・パイソンのマイケルはダンスを披露。無事に舞台を終え、インターシティに乗りワルシャワを目指す。 ここでの案内役は、雑誌編集者のモニカ・リチャードスン。スターリンからワルシャワ市民に贈られた文化科学宮殿を見学する。その後、旧市街へ。ここは、1944年のワルシャワ蜂起後、ヒトラーの命令で徹底的に破壊されたが、現在は、何事もなかったように修復されている。ワルシャワ滞在中、マイケルはロンドン出身のケヴィン・エイストンと出会う。この国へ移住した彼は、ポーランド語を話し、消防士として働くかたわら、テレビでコメディアンとしても活躍している。
彼に別れを告げたマイケルは、レンタカーでポズナンへ。そこからは、蒸気機関車の運転を経験しながらウォルシュティンへ向かう。この後マイケルは、すすを落とし正装をしてポーランドを代表するカトリックの巡礼地チェンストホーヴァのヤスナ・グラ僧院でミサに参加。ポーランド中から毎日多くの巡礼者が訪れるこの僧院には、かつて実際に"ポーランドの女王"を宣言された"黒いマドンナ"と呼ばれるイコンが収められている。
ポーランドは、ナチス時代に強制収容所があった土地。中でもアウシュヴィッツは、もっとも残虐な場所だ。寒々としたレンガ作りの建物の中のむごい事実を示す展示品を見て、マイケルは犠牲者を悼む。
そしてクラクフに到着。旧市街は見尽くしたと判断し、共産主義時代の大衆車トラバントを借りて郊外のツアーに出かける。その後、ザコパネ地区を目指したマイケル。スキーリゾートであるこの地は、真夏は比較的静かだ。幸運にもスキーインストラクターが伝統的な結婚式を挙げるのに遭遇。2人は馬車に乗り、参列者は民族衣装で出席していた。式の後の披露宴は3日間続き、宴では強烈なウェディング・ウォッカがふるまわれる。マイケルは初日だけ参加し、村を後にする。翌日、ポーランドに別れを告げるマイケル。たくましい男性2人が漕ぐパント船に乗り、ドゥナイェツ川を下りスロバキア国境へ向かった。