百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

百年名家~築100年の家を訪ねる旅~

  • トップページ
  • バックナンバー
  • contents3
  • contents4

バックナンバー

茨城・真壁 ~陣屋町の復興を見つめる旅~

今回の『百年名家』は、茨城・真壁。

筑波山の麓にある茨城県桜川市真壁は、関東では数少ない重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。桜川市全体では、国の登録有形文化財が104棟もあり、これは全国三番目の多さを誇っています。そんな真壁の歴史は古く、戦国時代に築かれた真壁城を中心に城下町が成立しています。ところが、江戸時代初期に真壁城は廃城となり、その後、陣屋を中心とした「陣屋町」という特異な形で発展しました。現在の町並みは陣屋町として栄えた500年の歴史を色濃く残しています。古城から伸びる門前通りを中心に、当時の町割りがそのまま残されているため、今も江戸時代の古地図を見ながら町歩きをすることができるほどです。関東が誇る伝統的な町並みを八嶋さん、牧瀬さんが巡ります。

2人はさっそく地図を片手に町歩き。北関東の町並みの特徴は様々な建築様式が混在することで、真壁の町並みもバリエーションに富んでいます。かつて真壁城からまっすぐのびていた上宿通りを歩けば高麗門、薬医門といった様々な形式の門が向かい合い、武家屋敷の名残を色濃く残しています。江戸時代には武家を捨て商人や農家に転じる家が多かったのですが、かつて武士階級だった頃の矜持が門構えに見て取れます。

町歩きを続けていくと、あちこちで修復をしている建物を見かけました。実はここ真壁の町も、東日本大震災で多くの被害を受けたのです。あれから2年。104棟ある文化財の修復が、今ようやく始まったばかりなのです。

2人が最初に訪れたのは、真壁で最も名の知れた料亭旅館「伊勢屋」。明治20年代に建てられた現役の旅館です。この旅館の玄関には様々なひな飾りが飾ってありました。真壁では2月4日から3月3日までの一か月間、町を挙げてひな祭りを行っているそうです。今年で11年目。約150軒の家が、蔵の中に眠っていた雛飾りなどを飾り付けて町全体が華やぎます。そんな伊勢屋旅館の蔵も震災で被災し、現在修復作業が進められています。修復するのは伝統的な左官技術を学んだ職人さんたち。昔ながらの伝統工法で修復することにこだわりをみせていました。

伊勢屋旅館を後にした2人は、なにやら屋根の上おしゃれな模様を発見。ここは御用商人として乾物商を商っていた「星野家」です。明治中期に建てられた築130年の建物を一部改築し、ギャラリーとして公開しています。店内には代々受け継いできた調度品も並べられ、床には大谷石が敷き詰められていました。かつては干物を扱っており、塩害から家を守るため天井には漆が塗られているのも特徴の一つ。北関東に見られる町屋の典型的な間取りを、ギャラリーのレイアウトに上手く取り上げていました。

町のはずれにやってきた2人は大きな長屋門を目にします。ここは真壁屈指の旧家「谷口(やぐち)家」。江戸時代の醤油醸造で財をなし、明治には製糸業で県内有数の業者へと上り詰めました。広大な敷地に建つ、住居、店舗、石蔵などは文化財となっています。そんな谷口家もまた震災被害の修復中です。文化財民家修復の問題点を伺いました。

じつは真壁は、お菓子の町でもあります。「白川菓子店」もその一つで、大正8年の建物。4年前に耐震補強をしていたため、東日本大震災の被害も最小限に抑えられたそうです。お店でいただいた名物の「あんドーナツ」は、外はカリッと、中はふわふわ。思わず2つめに手をのばしてしまうおいしさでした。

旅の最後に2人は真壁の中心地に建つ「潮田(うしおだ)家」を訪れました。「潮田家」は真壁を代表する旧家で、江戸時代には呉服商として財を築き、明治時代には「関東の三越」と呼ばれたほどの豪商でした。現在の建物は隆盛を極めた明治43年に新築されたもので、真壁町の登録文化財第1号です。広い間口を支える梁は、何と8間(約15m)もの長さがあり、この梁一本で家が2軒は建つという代物。明治時代の呉服の見本帳も一級品の史料です。現在は3年がかりの修復作業中。修理の中で初めて分かった100年前の技術もあったそうです。

震災からの修復にかける人々の熱意に接して、改めて古民家の歴史的価値を再発見した旅でした。